自分よ自分よ自分さん

自分のコアを無視せず対話していきたいと考えた

daily

きっかけ

この動画を見た。私の大好きなyoutubeチャンネル『ゆる言語学ラジオ』の動画です。 内容としては、「俺にはタメ口でいいよ」という提案は暴力であると言う主張の内容だった。というのもそもそも丁寧語や敬語は、相手へのリスペクトを表す側面もあるが、もう一つの側面がありそれは、相手と距離を取りたい時の表現だという。 相手と距離を縮めたくないのにタメ口を使う人は少ないだろう。敬意は持っていないが、敬意を表す表現をつかって距離を取ろうとする。 そのため相手の気持ちを確認せずに「タメ口で」と言うのは、非常に加害性が高く、相手の気持ちを無視したコミュニケーションの取り方であるという内容だった。 非常に共感。私はなかなか人のタメ口をつかって話すことができず、仲が良くなってもしばらくの間は敬語や敬語がタメ口に移行できないのだが、それはある種自分に心地のいい距離感であるからなのであって、決してそこから急激に距離を縮めたいと言う欲求はない。 そこに対して、無理に距離を詰めようとしてこられることに関して少し抵抗があることには否めない。ただ特段忌避反応があるわけでもないので、私は少しここの知覚が鈍感なのだろう。

話は変わり。この動画の中でコアの自分と側の自分という話題が出た。いわゆる理性と本能の話だと思うけど、20代後半になって子供と家族を持って、本能としての自分が薄くなってきたなとたまに感じる。ただこれは悪いわけではないと個人的には捉えているので、問題はないのだが、本能の自分の存在を忘れたままにしているとある時ふと違和感に襲われて、足を止めてしまいそうになると思うので、定期的に自分の発言や感情、考えと向き合って、それは自分のコアなのか側の自分なのか考えてみるのがいいなと感じました。

小さな発見

  • コミュニケーションはキャッチボールであるという比喩は本当によくできているなと実感した
  • ただ相手の距離感は実際にボールを投げてみないとわからない
  • そしてその距離感はボール(言葉)自体とは別に副次的に含まれるものである

今日のメモ

  • 瀬野川公園で息子とひたすら遊んだ午前中
  • 奥さんは元の学校の運動会へ
  • 夜はサイゼリアへ
  • 庶民の味方サイゼリアは偉大