久しぶりの原爆ドーム & 資料館

4年ぶりくらいに原爆ドームを案内して資料館もみに行った。息子が生まれてから見る資料館はなんとも言い表せないものがあった

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妹がお世話にっている方々

妹は今新潟県の佐渡島で働いている。その働き先である、宿泊施設兼食事処のオーナーの方々が広島に妹と共に遊びにきてくれた。妹が腰を据えている環境を作っている人たちなだけあって、優しく緩やかな空気を纏った方々という印象だった。 話していると本当に妹のことを大切に思ってくれているのかが伝わった。これからもおそらく妹は新潟に拠点を置き彼女の日々を作り上げていくのだろうと思うとなんだか、不思議な感覚になった。

その方達と妹は「エホバの証人」といういわゆる宗教に加入している。日本で暮らしている出会う機会が少ないが、以前キリシタンの外国の方と仲良くさせてもらっていたので、私はあまり抵抗なく楽しくできる。

しかし信じているものの話をするのは面白い。何を信じているかというのはつまりこの世界をどう認識しているかということに他ならないなと感じた。 話を聞くとどうも以下のようなロジックのようだった。 エホバ(神、創造主)が全てを作った => 生物を作った => 天使や人間を作った => 完璧な神の作る人間は等しく完璧であった => 人間に自由意志を持たせた => 自由意志を悪用したサタンが人間に禁断の果実を食すよう促した => 人間はそれを食し罪を背負ってしまって => 不完全な存在(死のある存在)となってしまった => つまり現在生きている人間は全員サタンの認識に強く影響されてしまったが故に死がつきまとっている => エホバを信仰し信じることで、人間は完全な存在に戻ることができる => つまり永遠に死なない まぁこんな感じらしい。ちょっと共感や理解はできない。しかし物語として、論理的であるし起承転結が整っているところがすごいと思う。 ここで思うのは学校教育などで学び歴史や科学を理解し扱えているように思うけど、これも実は宗教上の物語と大差ないのではないかと思えてきた。 僕たちは学校で、社会や科学、数学などの学問を学ぶが、これはあくまで世界の見方や会社くでしかない。純然たる事実のように思っているかもしれないが、本当にそうだろうか。 人間史上自分が生きた歴史なんてとても短いし、実際に見たり試したりした訳でもないものを知って理解した気になっているのではないだろうか。

ここで言いたいのは、宗教的な物語が事実だということではなく、どう世界を見たいのか選択するのは自由で、世界の見方や感じ方解釈の仕方はそれぞれ存在していていいと思うということ。 ただ、人それぞれ!相対主義!みたいなは面白くないので、僕なりにまとめると、社会や世界を見たり解釈したりする目は色々なものが、あり正解はない。しかし社会のマジョリティや状況、価値観によってより適したものの見方が選定されるので、一般的に今は科学的なものの見方や論理的なものの見方が優位に立っている。ということのような気がする。

有り難さを思い出させてくれる

正直にいうと小中高で原爆ドームへ学校のカリキュラム上足を運ぶことはあったが、あまり好きではなかった。今思うと、押し付けがましさというか、何か自分が責められているような空気みたいなものが嫌だったのだろう。「なぜ自分は何もしていないのに反省したり悔い改める必要があるのだろうか」みたいに考えていた記憶がある。そんなことはないのだがなぜかその時の自分はそう解釈してしまっていたのだろう。 しかし今は興味もあるし、色々みていて面白いとも思う。歴史的背景やその時の情勢などが大きく絡んだ第二次世界大戦は知識欲求を満たしてくれる。

そんな原爆ドームだけど、身近にあることも相まって自分的には「有り難さを思い出させてくれる存在」になっている。今息子や奥さんと平和に暮らしていけているのは、この景色を当たり前にしたいと願った誰かの行動によって作られたものだということを再認識させられる。 ただ、この思いはなぜか忘れてしまう。なぜかわからないが日々の多忙さゆえか、日常の摩耗によるものか、原因はわからないがどれだけ忘れてはいけない、胸の中で共に生きていかなければならないものなのだとその時感じだとしても、ふと思い返すと、忘れている。

しかしこれまた有難いことなのだが、僕の近くに原爆ドームや戦争の傷跡はそこにあってくれる。そしてそこにあって僕の記憶を呼び起こしてくれる。その想起のトリガーとなってくれる。 これはまさに有難いということなのだろう。 PHPカンファレンスでも感じたが、その目の前のものを作るために努力をしている人たちがある。これも当たり前と思いつつ忘れてしまうこと。原爆ドームや被災の遺恨というのは、この世の誰かによって残されているし、形を保っている。つまり僕の当たり前は誰かの行動で、努力で作られているものなんだ。 時折思い出しこの感情に触れられることは、なんと幸せだし、なんと有難いのだろうかと感じ、今日もいい一日になったと思う。

ハロウィンでとんぼになる息子

そんな原爆ドームで過去と未来と今に思いを馳せている間に、奥さんと息子はハロウィンの仮装パーティーを友達の家で楽しんでいたのだとか。聞けば今回の仮装のテーマは「魔女の宅急便」だという。そんなの可愛すぎる絶対に。 朝からとんぼ風の服に着替えさせて、僕は息子の髪型をとんぼ風にセットしたりした。これがまた、とんぼ風のセットが難しい難しい。あのセットどうやっているのか、アップされている前髪もあれば、下がっている前髪もある。セットで再現するのは至難だった。頼むから来年は難易度の低い仮装を選んでくれると助かります。

ただ実際に仮装してポーズを取る子供達は超絶可愛かった。そして息子もなんとなくとんぼに見えて、なんとか仮装は成功と言って用意のではないかと感じられるものになっていた。 奥さんNICE!!

学び / 気づき

  • 主義、イズム、宗教は世界を見るためのメガネ。つまりスキーマ!?
  • 忘れてしまうと忘れてしまうので、思い出したいことを思い出せるトリガーを用意しておくの大切
  • 世界は誰かの行動でできている

まとめ

世界は誰かの行動でできていて、その世界を見るためのメガネは自分が持っている。